何れにしても風は吹く

よく病院の先生に「そのまま人生について考え続けて(超意訳)」って言われます。精神が逝っていた時はこう言われると結構イライラしてました。これ以上に俺を苦しませてどうなるんだよって思ってました。でも意外と時間が経ってみると(少し不本意ながら)割とどうにかなっています。病院の先生ってすごいですよね。それでも問題は山積みですが。

人生辛いことから逃げてもいいとか、困難は乗り越えなくてもいいとか、そういう言葉って正しいんでしょうか。それで幸せになれるんでしょうか。人生は辛いことから逃げてもそこに幸せがあるわけじゃなくて"辛いことがない"だけなんですよね。そして"辛いことがないことはつまり幸せ"じゃないんですよ。辛いことの分だけ虚無になるだけ。
困難は乗り越えなくてもいいは多少は理解できるかもしれません。でもこの"乗り越えなくてもいい"の部分のニュアンスが結構大事じゃないかなと思います。例えばこの"乗り越えなくてもいい"というのが、今は妥協して回り道をするけれどもその困難から目を逸らすわけではない。みたいなポジティブな意味合いなら全然いいと思うんですけど、乗り越えることを諦めてただそこで立ち止まってその問題を眺めてるだけでいいみたいなそういう無責任な意味合いなら全然だめでしょって思うわけです。
巨人の肩の上に立つっていい言葉ですよね。自分が直面した問題に対して真摯に向き合っていればいずれ誰かが乗り越えてくれるかもしれません。人類の大義かもしれません。大げさ過ぎますか。

つまり先生が伝えたかったのは人生は立ち止まってはいけないということだったのかなと思うのです。なんで崖なんか登ってるんだろうという疑問にも多分これで答えられます。人生進み続けるしかないという残酷すぎる事実を極限までオブラート包んで伝えようとすると「そのまま悩み続けてください」になるんでしょうね。
なので最近は多分人生で一番大事なことって未来に目を向けることなんじゃないかなとか考えたりします。過去の幸せな記憶にばかり目を向けたりこれから起こるであろう辛く苦しい困難を想像し目を逸らし立ち止まりたい気持ちを抑え、勝手に進み続ける人生を共に等速で前を向きながら進むという意思こそが最も大事なのかもしれません。その意思こそまさに勇気であり、だから大抵人は勇気を尊ぶのかもしれません。