お人好しはいないし無知はそのうち気付く

先日の通院の際の内容を書いた文章に対して感想を貰ったのでその内容について少し考えてみます。

まずは"友人の意味が重くないか"という指摘です。
これは多分ニュアンス的には友達ってもっと気楽なものじゃないかって指摘だと思います。どうなんでしょう。個人的には多分誰も得しない結果になる予感がします。自分で言うのもあれですが私がなるべく人を頼らないのって自分の為でもあるし他人の為でもあります。それが仲の良い人なら尚更です。自分の中にある病んだ精神を他人に共有することでそれが他人に伝染したり、私への愛想を尽かされたり、私自身の強迫行為に巻き込んでしまうのは別に誰も幸せにはしないのです。それに発展することはなくとも壊れることのないこの絶妙バランスをわざわざ崩しに行くほどの体力がもう今の私には無いのです。

そしてもう一つは"崖の上に登る必要は必ずしもあるわけではない"という指摘。
これに関してはそうかもしれないね、って思わなくもないです。そもそもなんで崖なんか登ってるんですかね。多分崖の下にある幸せの形があまりにも悲しいものだったからなのかもしれません。人生に打ちのめされて自分が幸せになることや誰かを幸せにすることを諦めてそれでも生きてゆくことに直向きで前向きで誰かの幸せに敬虔な人が持つ希望が本当に悲しかったからなんだと思います。当然私も人間なので悲しいものを見ているのは辛いです。そこから目を背ける為に崖を登っているのかもしれませんし、或いは崖の下で出会った人達の希望になりたいと思って登っているのかもしれません。それかなんとなく登り始めてなんとなく"普通の人"に近づいてきて今更崖の下に戻ることに負い目を感じているのかもしれません。今わかることは崖の下にいた頃よりは今は幸せであるということです。あくまで相対的な話ですが。